【上野】江戸のお祭りに魂を感じた日。五條天神社本祭&湯島天満宮神輿レポ

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旅行

この記事でわかること

  • 五條天神社とは?その歴史・御祭神・移転のドラマ
  • 五條天神社の本祭レポート(子ども神輿・能の舞台・本殿が開いていた!)
  • 御徒町で偶然出会った湯島天満宮の神輿行列
  • 京都の葵祭と江戸祭りの違い
  • 上野東照宮の五重塔が間近で見られるようになった話(2026年3月〜・執筆時点の情報)
  • 戊辰戦争も関東大震災も乗り越えた、本物のパワースポットの話

「上野って、動物園とかアメ横でしょ?」

そう思っている方、多いんじゃないでしょうか。

でも実は、上野は江戸の歴史がぎゅっと詰まった場所。
昔から何度も足を運んできた、私にとっても馴染み深いエリアです。

その上野が2026年5月24日、お祭りで、ものすごく熱かった!

御徒町で偶然出会った神輿行列、五條天神社の本祭、そして
「やっぱりここは特別だ」と改めて感じた上野東照宮の五重塔。
一日でこんなに濃い体験ができるなんて、やっぱり上野はすごい。

今日はそんな上野の歴史散歩をレポートします。


御徒町で偶然、湯島天満宮の神輿に遭遇!

この日の始まりは、予定外の出会いからでした。

御徒町を歩いていると、突然お囃子の音が聞こえてきた。

神輿だ!

思わずついて回りながら、「これは五條天神社のお祭りかな?」と思っていたんです。
でもよく見ると、担ぎ手の法被(はっぴ)に「湯島」の文字。
お囃子の車にも「湯島天満宮」と書いてある。

「あ、湯島のお祭りだったか!」と気づいて、思わずにやりとしました。

湯島天満宮は、学問の神様・菅原道真公をお祀りする神社。
受験シーズンには全国から合格祈願の参拝者が集まる、東京を代表する天満宮です。

五條天神社の大祭が5月25日。湯島天満宮も5月下旬にお祭りがある。
ふたつの天神さまが同じ日に、上野・御徒町エリアでお祭りを繰り広げていたんですね。

予定していなかったのに神輿行列に出会えた。
これだから、ひとり旅の街歩きはやめられません。


五條天神社ってどんな神社?

湯島の神輿を見届けてから、今日のメイン・五條天神社へ向かいました。

「五條天神社?聞いたことないな……」という方も多いかもしれません。
でも、江戸三大天神のひとつとして、昔から上野に根付いてきた由緒ある神社なんです。

御祭神はあの「出雲の神様」

御祭神は、大己貴命(おおなむじのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)のふたり。

大己貴命は、出雲大社の神様・大国主命と同じ神様です(出雲記事を読んでいただいた方、「あの神様!」と思ったのでは笑)。

少彦名命は医薬・温泉・知識など多様なご利益を持つ神様で、五條天神社では古くから「医薬祖神」として信仰されてきました。
看護師として、なんだか縁を感じてしまいます……!

相殿には菅原道真公もお祀りされており、学業成就・歌の道の神様としての顔も持っています。

創建は約1900年前!でも、今の場所に来たのは約100年前

この神社の歴史、実はすごく古い。

第十二代景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐の帰り道に上野(当時は「忍ヶ岡」と呼ばれていました)を通ったとき、薬祖神ふたりの御加護に感謝してこの地に神様をお祀りしたのが始まり、とされています(諸説あります)。約1900年前のことです。

ただ、今の場所にずっといたわけではありません。

江戸時代、徳川家の菩提寺・寛永寺が上野の山に造られると、境内拡張のたびに神社は追い出されるように移転を繰り返しました。
元禄時代(1697年)からは現在のアメ横入口付近(ヨドバシカメラの横あたり)に長らく仮遷座。
今もその場所に石碑が残っています。

そして昭和3年(1928年)、創祀の地にもっとも近い場所として、現在の花園稲荷神社の隣に遷座されました。
今の場所に落ち着いたのは、約100年前のことなんです。

1900年の歴史を持ちながら、こんな「引っ越しのドラマ」がある。
境内の説明を読んで「へえ!」と思った方、きっと多いはず。
こういう発見があるから、神社巡りはやめられません。

📍 五條天神社 アクセスメモ
〒110-0007 東京都台東区上野公園4-17
JR・東京メトロ「上野駅」公園口より徒歩約3〜5分
京成線「京成上野駅」より徒歩約3分
TEL:03-3821-4306
※花園稲荷神社の隣に鎮座。下り参道を下った先にあります

五條天神社の本祭レポート

例大祭は毎年5月25日。
そして3年に一度、本社神輿の渡御(とぎょ)が行われます。
2026年はその本祭の年!

ちなみに神輿巡行などの神賑行事は前後の土日に行われるため、「25日あたり?」という印象を受けるかもしれませんが、祭礼の本体は毎年5月25日固定です。

宮司さんのお祓い——頭を下げる子どもたちに感動

境内に入ってまず目に飛び込んできたのが、子ども神輿の出発前の光景でした。

宮司さんが子どもたちの前に立ち、お祓い(お清め)をしてくださっている。

そのとき、子どもたちがみんな、ちゃんと頭を下げて静かにしているんです。

小さな体で、きちんと。

その姿に、じんとしてしまいました。
お祭りって、こうやって次の世代に受け継がれていくんだ、と。
宮司さんのお祓いを受けてから神輿を担ぐ——その一連の流れに、ちゃんと意味がある。
子どもたちはきっとまだその意味を全部は知らないけれど、それでも体で覚えていく。
そういう場に居合わせられたことが、うれしかったです。

お祓いが終わると、子どもたちはいきいきと神輿を担ぎ始めました。
その姿がまた、もう、めちゃくちゃかわいくて(笑)。

境内では能の奉納——その演目が深い

境内の能舞台では、この日こんな演目が奉納されていました。

「三筒男神(みつつおのかみ)」「稲荷山・言いつけ」「稲荷山・ちのり凱旋」「天孫降臨」

歴史好きならピンとくるはず。これ、出雲と深い縁を持つ演目ばかりなんです。

三筒男神は住吉の神様、稲荷山は稲荷信仰、天孫降臨は天照大神から続く神話の世界。
五條天神社の御祭神・大己貴命(大国主命)が出雲の神様であることを考えると、この演目の選択は偶然じゃない。
そんなことを考えながら舞台を見ていたら、能の静けさが一層深く感じられました。

子ども神輿の賑やかさと、能の静謐さが境内に共存している。
「これが日本の祭りだ」と、なんとも言えない気持ちになりました。

思いがけず、本殿が開いていた

境内を歩いていると、本殿が開いているのに気がつきました。

ふだん本殿の中に入れるのは、正式参拝(昇殿参拝)のときだけ。
気軽に拝観できる機会はほとんどありません。

お祭りだから、開けてくださっていたんですね。

五條天神社は小さな神社だからこそ、本殿がほんとうに間近。
ふだんは見られない内部の造りを、すぐそこで拝見できる。
ありがたくて、そっと手を合わせてから、写真もたくさん撮らせていただきました。

小さな神社だからこその、間近で感じる能舞台と本殿。
大きな神社にはない、この距離感がたまらないんです。

📝 メモ|本社神輿渡御は3年に1度五條天神社の大神輿渡御は3年に一度の神幸祭で行われます(2026年が本祭の年)。
通常年も、里神楽奉納・町神輿巡行・子ども神輿・奉納弓道大会などが行われます。
例大祭の祭礼本体は毎年5月25日(固定)。神輿などの神賑行事は前後の土日に行われます。

京都の葵祭 vs 江戸のお祭り——どちらが好きですか?

こんな比較をするのは野暮かもしれないけれど……ちょっとだけ。

京都の葵祭は、平安時代からの装束を身にまとった行列が、約8kmを歩く優雅な王朝行事。
見る者を別の時代に連れていくような、静かな感動があります。

一方、江戸のお祭りは参加する喜びがある。
「せいや、せいや、ワッショイワッショイ」という掛け声とともに熱が高まり、担ぎ手と観客が一体になっていく。
江戸の意気込みと、負けない強さを感じる祭りです。

京都が「見て感じる祭り」なら、江戸は「体で感じる祭り」かもしれません。

どちらも、長い歴史の中で大切に守られてきた、日本の宝。

みなさんはどちらのお祭りが好みですか?


上野東照宮の五重塔が間近で見られるようになった!(2026年3月〜)

今回の上野散歩で、もうひとつ嬉しい体験がありました。

上野東照宮の境内にある五重塔
実はずっと上野動物園の管理下にあって、ずっと柵越しにしか見られなかったんです。

でも2026年3月から、東照宮の敷地内から柵の中に入れるようになり、間近で拝観できるようになりました(境内の警備員さんから直接教えていただいた情報です)。
問い合わせが多く、試験的に開放を始めたとのこと。

「こんなに近くで見られるんだ……!」

上野に馴染みのある私でも、心が揺さぶられる感動でした。
正直、拝観料を払いたいくらいです(笑)。

戊辰戦争も、関東大震災も、東京大空襲も——倒れなかった塔

この五重塔、ただ美しいだけじゃないんです。

歴史的な大ピンチを何度も乗り越えてきた、本物のパワースポット

1868年(慶応4年)の戊辰戦争・上野戦争では、旧幕府軍(彰義隊)が上野東照宮境内を本陣にして戦いました。
上野の山は砲声と炎に包まれ、寛永寺の多くの伽藍が焼き払われた激戦。
それでも、東照宮と五重塔は焼き討ちにも打ち壊しにも遭わず、無事でした。

1923年の関東大震災では、石鳥居すら倒れなかったといいます。

さらに第二次世界大戦の東京大空襲では、社殿のすぐそばに焼夷弾が落ちたにもかかわらず不発弾だったため、倒壊を免れています。

幕末の戦火・大地震・空襲——近代日本の三大災厄をすべて生き延びた建造物が、東京のど真ん中にある。

「強運の神様」として信仰されているのも、うなずけます。

🏯 上野戦争(1868年)とは?戊辰戦争の一局面。旧幕府軍の「彰義隊」が上野の寛永寺に立てこもり、新政府軍と戦った戦い。わずか一日で彰義隊は壊滅しましたが、上野の山は激しく炎上。今も上野公園内に「彰義隊戦死之碑」が残っており、歴史の痕跡を感じることができます。

上野東照宮について少し補足

上野東照宮は1627年(寛永4年)に創建。
徳川家康公・徳川吉宗公・徳川慶喜公を祭神として、出世・勝利・健康長寿のご利益で知られています。

豪華絢爛な金色殿は三代将軍・徳川家光が造営。
「日光東照宮まで参拝に行けない江戸の人々のために」という心遣いで建てられたと言われています(諸説あります)。

→ 以前の記事でも上野東照宮を紹介しています!合わせてどうぞ。
【都内神社6選】歴史好き看護師が実際に歩いた神社まとめ

⚠️ 執筆時点の情報について五重塔の柵内開放は2026年3月〜の試験的な取り組みです。
今後状況が変わる可能性がありますので、訪問前に上野東照宮の公式サイトや現地でご確認ください。
上野東照宮 公式サイト

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まとめ|上野は「江戸の魂」が息づく場所

📌 今回の上野散歩まとめ

  • 御徒町で偶然、湯島天満宮の神輿に遭遇——法被を見て気づいた(笑)
  • 五條天神社は江戸三大天神のひとつ・創建約1900年、昭和3年に現在地へ遷座
  • 本祭は3年に1度・例大祭の祭礼は毎年5月25日固定
  • 宮司さんのお祓いの前で静かに頭を下げる子どもたちに感動
  • 出雲ゆかりの演目による能の奉納、そして思いがけず本殿が開いていた
  • 上野東照宮の五重塔が柵の中に入って間近で見られるように(2026年3月〜・執筆時点)
  • 五重塔は戊辰戦争・関東大震災・東京大空襲を乗り越えた本物のパワースポット

予定していなかった神輿に出会い、思いがけず本殿が開いていた。

こういう「偶然の重なり」が、ひとり旅の街歩きの醍醐味だと改めて思います。

幕末の戦火もくぐり抜け、地震にも空襲にも倒れなかった五重塔が、今も静かにそこに立っている。
上野に馴染みのある私でも、その姿に胸が熱くなりました。

東京を訪れる機会があれば、ぜひ神社目線で上野を歩いてみてください。

→ 参拝前にマナーを確認したい方はこちら:【神社参拝マナー完全ガイド】神社オタク看護師が教えます


整えることで、人生は変えられる。

それではみなさまごきげんよう。

ジュリー・ジョリー

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