待乳山聖天 ひとり参拝|大根を抱えて石段を上がる、江戸が残る小さな山

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待乳山聖天の築地塀の写真 一人旅

皆さまごきげんよう、大根を抱えて石段を上がったジュリー・ジョリーです。

浅草寺から北へ、歩いて10分ほど。隅田川のほとりに、こんもりとした小さな山があります。

待乳山聖天(まつちやましょうでん)。

浅草名所七福神をめぐる途中で立ち寄っただけのつもりでした。「サッとお参りして、次へ」。そのくらいの気持ちで門をくぐったんです。

結果、30分以上いました。

見どころが多すぎたんです。江戸時代から残る壁。300年前の歌人の碑。お寺なのに立っている鳥居。そして、両手で抱えて運ぶ大根。

浅草に何度も行っているのに、私はここを知りませんでした。もったいないことをしていた、と思います。

📖 この記事でわかること

  • 待乳山聖天の行き方(浅草から100円のバスで)
  • 名物「大根のお供え」のやり方と、350円という値段
  • 江戸がそのまま残る築地塀と、境内の見どころ
  • 御朱印のいただき方(本殿に上がります)

浅草から10分、下町最高峰の小さな山

待乳山聖天の入口付近

私は浅草駅から台東区の循環バス「めぐりん」に乗りました。3つ目の「隅田公園」で下車して、歩いて数分。運賃は一律100円で、SuicaやPASMOも使えます。

歩いても10分ほどの距離なので、体力と天気しだいで選べます。私が行ったのは真夏の月曜日だったので、迷わずバスにしました。

待乳山聖天の正式な名前は本龍院。浅草寺の支院にあたるお寺で、ご本尊は大聖歓喜天(聖天さま)——十一面観音の化身とされる仏さまです。浅草名所七福神では毘沙門天をお祀りしています。

「山」といっても、標高は約10メートル。ビルでいえば3階くらいでしょうか。

それでも、平らな下町ではここが最高峰なのだそうです。上野から続く台地の先っぽが波に削られて、ここだけかろうじて残った——そんな成り立ちだと言われています(諸説あります)。

お寺に伝わる由緒によれば、この山が現れたのは推古天皇3年(595年)。一夜にして涌き出た霊山で、そのとき金龍が舞い降りて山を守ったのだとか。そして推古天皇9年(601年)、この地が干ばつに見舞われたときに大聖歓喜天が現れ、人々を救ったことが草創の起源とされています。

「待乳」という名前の由来も伝わっています。かつてこのあたり一帯が泥の海だったころ、ここだけが「真の土」だったから、まつち山。

そう聞くと、この小さな盛り上がりが急に愛おしくなりませんか。

浅草寺のあの喧騒から10分。門をくぐった瞬間に、音が変わります。

大根350円、現金のみ

境内に入って最初に目につくのが、大根です。

提灯にも、幕にも、大根のマーク。そして実物の大根が、あちこちにお供えされている。神社仏閣で野菜が主役になっているのは、なかなか見ない光景です。

このお寺のしるしは、大根と巾着。ご本尊である聖天さまへのお供物とご利益を表しています。

  • 大根 … 身体健全・夫婦和合
  • 巾着 … 財福(お金にまつわるご利益)

買って、抱えて、上がる

大根は、入口すぐのところで授かれます。1本350円。現金のみなので、キャッシュレス派の方はご注意ください。私もここだけは電子マネーが使えず、慌てて小銭を探しました。

受け取ったら、それを抱えて石段を上がります。

これがですね、そこそこな重さなんです。

並べられた大根を一本、手にとって、真夏の石段を一段ずつ上がっていく。汗が出ます。たった、2,3人の待ち時間なのに、長く感じる。

でも上がりきって、御本殿に大根をお供えして、手を合わせたとき。

——すごく、しっくりきたんです。

大根は、ぐるぐる回っている

待乳山聖天の参拝後に持ち帰れる大根

参拝を終えて戻ってくると、本堂のそばに持ち帰れる大根が置いてありました。

誰かがお供えした大根が、お下がりとして次の誰かの手に渡る。その人が家で煮物にする。そしてまた別の誰かが350円を出して、新しい大根をお供えする。

ぐるぐると、回っているんです。

ここで、ひとつ思い出したことがありました。

お供え物って、もともとは旬のものを差し上げる習慣だったんですよね。採れたてのお米、新酒、その季節の野菜。「いちばんいいものを、神さまに先に」という素朴な気持ちの形でした。

それが世の中に貨幣が行き渡るにつれて、だんだんお賽銭という形に置き換わっていった。便利ですし、合理的です。でもそのぶん、手触りは消えました。

つまりここでは、お金になる前の、昔ながらのお供えの形がそのまま残っている。

大根を抱えて石段を上がりながら、「私はいま、江戸の人と同じことをしている」と思うと、なんだか、ワクワクしていました。

100円玉を賽銭箱に投げ入れるのとは、まるで違う手触りでした。ちょっと重くて、両手がふさがって、これであっているのかな?なんておもいながら。——でも、うれしくて。

江戸が、そのまま残っている壁

江戸から残る、待乳山聖天の築地塀

そしてこの日いちばん見入ってしまったのが、境内の築地塀(ついじべい)です。

泥と瓦を交互に、何層にも積み上げてつくられた壁。近づくと、瓦の縞模様がびっしりと重なっているのが見えます。しましま、しましま、と、視線が吸い込まれていく。

「これ、いつのものなんだろう」

そう思って説明板を探すと、こう書かれていました。

江戸時代の名残りをとどめる唯一のもので貴重な文化財である、全長二十五間(四五、五メートル)広重の錦絵にも描かれている

「江戸時代の名残りをとどめる唯一のもの」。

——唯一。

東京は、震災と戦災で江戸の建物をほとんど失った街です。あれだけ栄えた大江戸八百八町の建物が、今はほとんど残っていない。その中で、この壁だけが残った。

全長45.5メートル。歌川広重が錦絵に描いた、その同じ壁が、いまも同じ場所に立っている。

触っていいものかわからなかったので、手は出しませんでした。ただ、じっと見ていました。

一枚一枚、人の手で積まれた瓦。機械のない時代に、ひと手間ひと手間をかけて、これだけの長さを積み上げた人がいる。名前も残っていない職人さんの仕事が、200年近く経った今日も、私の目の前にある。

昔の人がつくったものを、今も見られる。

当たり前のようでいて、これって本当はすごいことだと思うんです。

📚 ジュリーのおすすめ築地塀も、大根のお供えも、背景を知っているだけで見え方がまるで変わります。下町散歩のお供に、江戸の暮らしを解きほぐしてくれる一冊を。『江戸を知る――江戸学事始め』竹内誠/敬文舎

歌碑の先に、スカイツリー

待乳山聖天の丘からみるスカイツリー

境内を奥へ進むと、古い石碑が立っています。

戸田茂睡(とだ もすい)の歌碑です。

あはれとハ 夕越てゆく 人も見よ まつちの山に 残すことの葉

戸田茂睡は、1629年から1706年を生きた江戸前期の歌人。

この方、なかなか痛快な人です。当時の歌壇には「和歌に使ってよい言葉」が細かく決められていて、それ以外の言葉を詠むのは邪道とされていました。茂睡はそれに真っ向から異を唱えたんです。「和歌はもっと自由でいい」と。

ルールに縛られた世界で、「それ、おかしくないですか」と言った人。300年以上前に、そういう人がここにいた。

そして——この歌碑の先に視線を上げると、東京スカイツリーが見えるんです。

この日は空がかすんでいて、輪郭がぼんやりしていました。それでも「確かにそこにある」というのは、わかりました。

1916年に描かれた東京風景

さらに境内では、昔の「東京風景」を描いた絵も見かけました。調べてみると、版画家・織田一磨(1882〜1956)が1916年(大正5年)に発表した石版画の連作でした。

ここで、少し意識がタイムスリップした感覚になりました。

1706年に亡くなった歌人の碑。1916年に描かれた東京の風景。そして2012年にできたスカイツリー。

同じ視界の中に、300年が積み重なっている。

この場所は、ずっとここにあり続けたんですね。茂睡が歌を詠んだときも、織田一磨が絵を描いたときも、そして私がスマホで写真を撮っている今も。

見ている人だけが、入れ替わっていく。

本堂の裏に、鳥居がありました

境内をぐるりと歩いていて、「あれ?」と足が止まった場所があります。

本堂の裏手に、鳥居が立っていたんです。

ここはお寺です。鳥居は神社のもの。おかしいな、と思いました。

調べてみると、これは神仏習合の名残でした。

明治のはじめに神仏分離令が出されるまで、日本では神さまと仏さまが同じ境内にいるのが当たり前だったんです。お寺の中に神社があり、神社の中にお堂がある。それが千年以上つづいた、日本のふつうの信仰の形でした。

待乳山聖天の本堂裏手には、お稲荷さんが祀られています。江戸時代の記録『御府内寺社備考』にも、この稲荷社の記載があるそうです(諸説あります)。

神さまと仏さまが、同じ山の上で並んでいる。

この光景を「変だ」と思ってしまう私のほうが、実は明治以降の新しい感覚なんですね。江戸の人が見たら、なんてことない当たり前の風景だったはずです。

そしてこのとき、本堂のほうからはお経の声が聞こえていました。

ちょうどおつとめの時間だったのでしょうか。低く、規則正しい声が、蝉の声と混ざって境内に流れている。

観光地の浅草から歩いて10分の場所に、こんなに静かな時間が流れていることと、今ここに在ることを、ありがたく思いました。

御朱印は、本殿に上がって

さて、実用的な話を。

待乳山聖天の御朱印は、参拝を終えたあとに御本殿へ上がっていただきます。向かって左側から上がれるようになっています。

お堂に上がる、というのは初めてだと少し緊張しますよね。私も一瞬「入っていいのかな」と足が止まりました。

でも大丈夫。ちゃんと上がっていい場所です。靴を脱いで、そっと上がらせていただきましょう。

私が伺ったときの待ち時間は5分ほど。混雑する時期はもう少しかかるかもしれません。

ほかにも、見逃しやすいものがふたつあります。

さくらレール(裏手にあります)

山頂まで運んでくれる「さくらレール」という小さなモノレールがあります。無料で、日本一短いモノレールとも言われているそうです。

ただしこれ、裏手の駐車場側にあるんです。正面の石段から入ると、たぶん気づきません。私は「どのようなものか見てみよう」と観光の一環として確認をしておきました。

階段がつらい方、ベビーカーの方、足元が不安な方も、これなら安心してお参りできます。神社仏閣めぐりって「歩ける人だけのもの」になりがちですが、こういう配慮に出会うとうれしくなりますね。

お庭は、また今度

境内には無料開放されている日本庭園もあって、錦鯉が泳いでいるそうです。

ただ、私が行ったときは入口に海外からの観光の方が集まっていて、ゆっくり見られそうもありませんでした。2、3歩だけ入って、引き返しました。

無理に詰め込まない。これも、ひとり旅を心地よくするコツだと思っています。

「また来る理由ができた」でいいんです。次は紅葉の頃にしようかな、なんて考えながら石段を下りました。

私は、お願いごとをしません

最後に、ひとつだけ。私の参拝スタイルの話をさせてください。

私は基本的に、神社やお寺でお願いごとをしません。

手を合わせて伝えるのは、感謝だけです。「今日ここに来られました、ありがとうございます」。それだけ。

理由は、わりと現実的です。

お礼参りが、大変だから。

……真面目な顔で言っていますが、本当にそうなんです。

私の趣味は神社めぐりです。年に何十社もお参りします。その全部でお願いごとをしていたら、どうなるでしょう。

叶ったぶんだけ、お礼を言いに全国を回らなければいけなくなる。

島根にも、奈良にも、鎌倉にも、また行かなければいけません。……いや、それはそれで楽しそうですが(笑)、さすがに現実的ではありません。

だから私は、お願いごとの場所を決めています。

  • 氏神さま(住んでいる土地の神さま)
  • 毎年ご祈祷をお願いしている神社

この2か所だけ。ここには必ず戻れますから、ちゃんとお礼が言えます。

旅先の神社では、感謝だけ。行けたことそのものが、もう十分ありがたいので。

この考え方が正しいのかどうかは、正直わかりません。参拝の作法にはいろいろな考え方がありますし、お願いごとをするのが悪いなんてことは全くありません。

ただ——「お願いしなきゃ」と思わなくていいと知ると、参拝ってすごく気楽になるんです。

手を合わせる前に「何をお願いしよう」と考え込まなくていい。ただ「来られてよかった」と思えばいい。

神社仏閣に興味はあるけれど、作法がわからなくて足が向かない——そんな方がいらしたら、これはひとつの選択肢としてお伝えしたいです。

お参りって、もっと自由でいいんじゃないでしょうか。

……あ。

それって、茂睡さんが和歌について言っていたことと、同じかもしれません。

おわりに

「サッと寄って次へ」のつもりが、気づけば30分以上。

標高10メートルの小さな山に、江戸の壁と、300年前の歌人と、お経の声と、大根がありました。

浅草へ行かれる方へ。仲見世の人波に少し疲れたら、北へ10分だけ歩いてみてください。まったく違う時間が流れています。

この日は浅草名所七福神めぐりの完結編で、このあと橋場不動尊と石浜神社もめぐりました。一日の全ルートと、帰りにバスが来なくて途方に暮れた話は、こちらに書いています。

👉 浅草名所七福神 一人旅|残り3社を車なしでめぐる完結編【色紙が完成】

九社寺の順番・費用・所要時間をまとめた早見表はこちらです。これから巡る方はどうぞ。

👉 【浅草名所七福神めぐり】順番・費用・所要時間|車なし旅、完全ガイド

整えることで、人生は変えられる。

それではみなさま、ごきげんよう。

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