皆さまごきげんよう、歴史のロマンに胸ときめくジュリージョリーです。
車なしひとり旅、今回訪ねたのは奈良県天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)。「日本最古」と名高いお社です。橿原神宮、大神神社と歩いた翌日、京都・奈良の旅の3社目として向かいました。
正直に言うと、参拝を終えて境内の奥へ足を踏み入れたとき、心がキラキラっと澄んでいくのを感じました。空気が、ちがう。うまく説明できないのですが、混じり気のない、純粋な空気とでも言えばいいのでしょうか。ジブリの映画にまぎれ込んでしまったような、そんな神秘の光景がそこにはありました。
「一人で行くのはちょっと不安」「歴史が好きだけど、どこから訪ねればいいの?」——そんなあなたに、車を持たない私がどうやってたどり着き、何を感じてきたのか。今日はゆっくりお話しさせてください。
・石上神宮ってどんな神社?(日本最古と言われるわけ)
・車がなくても大丈夫。天理駅からの行き方とタクシー活用術
・御神鶏や国宝の拝殿、境内の見どころ
・ひとりで歩いた「山の辺の道」と、忘れられない神秘の光景
・御朱印と清めの塩、ひとり旅のしめくくり

石上神宮ってどんな神社?──「日本最古」と呼ばれるわけ
私がこの神社に強く惹かれる理由。それは、日本という国が「神話から歴史へ地続きでつながっている」ことを、静かに教えてくれる場所だからです。
考えてみると、ギリシャ神話もローマ神話も有名ですが、それはあくまで「神々の物語」。神話がそのまま今の国のなりたちにつながっている国って、世界を見渡してもなかなか無いように思うのです。神さまの時代の話が、いつのまにか天皇や豪族の歴史へと溶け込んでいく——石上神宮は、まさにその「継ぎ目」に立っているお社なのです。
どのくらい古いかというと、あの『古事記』や『日本書紀』——奈良時代に編まれた日本最古級の歴史書——に、すでにその名が登場するほど。しかも当時「神宮」と呼ばれたのは、伊勢神宮とこの石上神宮のたった二社だけでした。あの伊勢と肩を並べる格式、と聞くだけで背筋が伸びますよね。
主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)。ざっくり言えば「ここぞという場面で救ってくれる、剣の神さま」です。神話のなかで、危機に陥った神武天皇のもとへ天から届き、その窮地を救ったと伝わる伝説の剣——その霊威をお祀りしています。「起死回生」のご利益で知られるのも納得です。
そしてこの神社を守ってきたのが、古代の有力豪族・物部氏(もののべし)。ヤマト王権の軍事を担った一族で、石上神宮は王権の「武器庫」を兼ねていたとも伝えられます。神さまが剣、それを守るのが武人の一族。筋が通っていて、なんだかかっこいいと思いませんか。
ちなみに創建の年には諸説ありますが、いずれにせよ神話の時代までさかのぼる古さ。「とにかく、とんでもなく古い」——今日はそう受け止めていただければ十分です。
車がなくても大丈夫。天理駅からの行き方とタクシー活用術
さて、ここからが車なし旅の本領発揮です。運転免許を持たない私が、どうやって石上神宮までたどり着いたのか。結論から言うと、天理駅からタクシーを使いました。
最寄りは、JR万葉まほろば線・近鉄天理線の「天理駅」。ここから石上神宮までは、歩くと約30分ほどです。「30分なら歩けそう」と思われるかもしれませんが、そこそこの上り坂もあり、参拝前に体力を使い切ってしまいそう……。
境内やこのあとの山の辺の道でたっぷり歩くことを考えると、私はここは迷わずタクシーを選びました。ひとり旅は、頑張りどころと甘えどころの見極めが肝心です。
そしてこのタクシーが、思いがけず旅のいい思い出になったのです。
運転手さんが、それはもう親切な方で。ありがたいことに、車中で「あそこは○○ですよ」「このあたりは△△が有名でね」と、天理の観光ガイドをたっぷりしてくださいました。私ももともと、あれこれ質問してしまうタイプ(笑)。
地元の方ならではの生きた情報は、ガイドブックには載っていない温かさがあります。ひとり旅だと会話に飢える瞬間がありますが、こういうふれあいがふっと心をほぐしてくれるんですよね。
気になる料金は、片道1450円ほど。帰りは迎車料金が少し加わりますが、往復でだいたい3000円くらいでした(私が訪れた時点での目安です)。「タクシーって高いのでは?」と思う方もいるかもしれませんが、駅からの短い距離。体力とご機嫌を守れることを思えば、私にとっては十分「元が取れる」出費でした。
節約旅とはいえ、削るべきでないところは削らない。これも整った旅のコツだと思っています。
帰りの段取りも、じつは簡単でした。 帰りの連絡先は、なんと降車時のレシートに記載されています。運転手さんから「これをなくさず持っていてくださいね」と言われました。参拝を終えて帰りの目処がついたら、まず電話で迎車をお願いしてしまうのがおすすめ。迎えが来るまでの待ち時間はだいたい15分ほどなので、その間にお手洗いを済ませておくと、ちょうどよく出発できます。
段取りよく動けると、ひとりでも心にゆとりが生まれますよ。最近は迎車アプリもあるそうなので、スマホに入れておくとさらに安心かもしれません。
ちなみに——これは後から知ったのですが、私の友人はレンタサイクルで石上神宮を訪ねたそうです。天理駅周辺にレンタサイクルのお店があり、山の辺の道をサイクリングでめぐる方も多いのだとか。(旅行サイト「じゃらん」などでレンタサイクルの予約もできます)自転車に自信がある方は、そういう回り方も気持ちよさそうですね。体力と相談しながら、自分に合った方法を選んでみてください。
・天理駅から徒歩約30分。上り坂ありなので、体力温存ならタクシーが◎
・料金は片道1450円ほど、往復で約3000円(迎車料金込み・目安)
・帰りの連絡先はレシートに記載。なくさず持っておく
・帰りの目処がついたら先に電話→待ち時間15分ほどでお手洗いを済ませる
・迎車アプリや、天理駅周辺のレンタサイクルという選択肢も
御神鶏がお出迎え。境内の見どころ
タクシーを降りて鳥居をくぐると——さっそく、思いがけないお出迎えが待っていました。
鶏さんです。
そう、石上神宮では鶏が放し飼いにされていて、境内をのびのびと歩き回っているのです。「コケコッコー」という凛とした鳴き声が、静かな杜(もり)を賑やかにする。
神さまのお使いとして大切にされている御神鶏(ごしんけい)で、色鮮やかな羽の子から、もふもふした子まで、種類もさまざま。参拝者を出迎えるように歩くその姿に、思わず頬がゆるみました。厳かな神域に、ちょっと愛らしいアクセント。この意外性も、石上神宮の魅力のひとつです。
鶏さんに見送られながら参道を進むと、重要文化財の楼門(ろうもん)が見えてきます。そしてその奥に鎮座するのが、国宝の拝殿(はいでん)。平安時代の終わりごろにさかのぼると伝わる、由緒ある建物です。どっしりと落ち着いたたたずまいの前に立つと、自然と背筋が伸びて、心が静かになっていくのがわかります。
さて、ここで思い出していただきたいのが、前半でお話しした剣の神さまのこと。じつは石上神宮には、少し不思議な歴史があります。
この神社には、長いあいだ「本殿」がありませんでした。
どういうことかというと——御神体である神剣は、拝殿の後ろにある禁足地(きんそくち)と呼ばれる聖域の地中に埋まっている、と古くから伝えられてきたのです。禁足地とはその名のとおり、足を踏み入れることが厳しく禁じられた神聖な場所。
人々は本殿を建てるのではなく、その土地そのものを拝んできたのですね。「建物」ではなく「大地」を神として敬う——なんとも古(いにしえ)の信仰らしい、清らかなかたちだと思いませんか。
ところが明治時代になって、当時の宮司さんが「本当に剣が埋まっているのか」を確かめるべく、この禁足地を発掘します。すると——言い伝えのとおり、本当に剣や勾玉(まがたま)が出てきたのです。ロマンを感じずにはいられません。この発見を受けて、大正時代になってようやく現在の本殿が建てられました。
そしてこの神社が「武の社」であることを物語る宝物が、国宝の七支刀(しちしとう)。左右に枝のように三本ずつ刃が突き出た、世にも珍しいかたちの剣です。
海の向こうの百済(くだら)から贈られたと刻まれた、古代東アジアの交流を今に伝える一級の宝物——なのですが、こちらは通常は非公開。実物にはなかなかお目にかかれません。それでも「あの伝説の剣が、この地に伝わっているのだ」と思いながら境内を歩くだけで、胸が高鳴りました。

布都御魂剣は『古事記』にも登場する伝説の剣。参拝の前に神話を少し知っておくと、境内で感じるものがまるで変わってきます。私の愛読書、竹田恒泰さん(作家・実業家・明治天皇の玄孫)の『現代語古事記』は、難しい神話をすらすら読める一冊。旅のおともにぜひ。
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山の辺の道へ。忘れられない、神秘の光景
さあ、ここからが今回の旅で、私がいちばん心を動かされた時間のお話です。
御本殿にお参りを済ませたあと、その先へと続く細い道が目に留まりました。舗装もされていない、素朴な山道です。「この先はどうなっているんだろう」——ひとり旅の、こういう寄り道が私は大好きです。吸い寄せられるように、足を踏み入れてみました。
しばらく進むと、堂々としたイチイガシの巨木が私を迎えてくれました。見上げるほどの大きさ。何百年もこの森を見守ってきたのだろうと思うと、木の前で自然と足が止まります。
その巨木をさらに奥へ進んだときでした。道に、白い紙垂(しで)——神社でよく見る、あのギザギザに折られた白い紙——がずらりと垂らされ、「立入禁止」と記された道が現れたのです。紙垂は、道の奥へ奥へと、ずっと続いています。
その先は、行くことができません。でも——。
その結界の向こうから漂ってくる空気が、明らかに、違ったのです。
うまく言葉にできないのですが、混じり気のない、純粋な空気感。空気が、整っている。まるでジブリの映画の中にまぎれ込んでしまったような、神秘的な光景がそこにはありました。立ち入れないとわかっていても、吸い込まれそうなパワーを感じて、私はしばらくその場から動けませんでした。心が、しんと澄んでいくようでした。

じつは——この道の正体を知ったのは、旅から帰ったあとのことでした。
あとで調べてみると、あの立入禁止の道の先には、石上神宮の末社・祓戸神社(はらえどじんじゃ)が鎮座しているのだそうです。お祀りされているのは、祓戸大神(はらえどのおおかみ)。神道において「祓(はらえ)」——つまり、私たちの心についた罪やけがれを清め、洗い流してくださる神さまです。
これには、少し驚きました。
だって私は、名前も由緒もまったく知らないまま、あの場所で「空気が整っている」「純粋だ」と感じていたのです。それが、けがれを清める祓(はらえ)の神さまがいらっしゃる場所だっただなんて。知らずに感じ取っていた清らかさが、あとから答え合わせのようにつながっていく。
こういう瞬間に出会うと、自分の直感を、もう少し信じてみようかな、という気持ちになります。理屈では説明できない何かを感じ取る力は、きっと誰の中にもあるのだと思うのです。
その道は、大神神社へと続いていた
祓戸神社の細道を引き返し、今度は境内のもう一方へ。鶏さんたちがいるあたりから右手の奥へと進むと、大きな池を左手に見ながら歩く道がありました。
この道で、ハイキング姿の方々とすれ違いました。二人連れの方と、それから三十人ほどの団体さん。しっかりした靴に、リュック姿。いったいどこまで行くのだろう——歩きながら、少し気になっていたのです。
あとで知ったのですが、この道こそが山の辺の道(やまのべのみち)。「日本最古の道」と言われ、石上神宮を起点に、南の大神神社の方角へと続く古(いにしえ)の道でした。
そう、前回訪ねたあの大神神社と、この石上神宮が、一本の道でつながっているのです。橿原神宮、大神神社、そして石上神宮——バラバラに訪ねたつもりだった神社たちが、じつは古代の人々が歩いた同じ道の上で、静かに結ばれていた。そう思うと、なんだか不思議な気持ちになりました。
すれ違った団体の方々は、この道をたどって大神神社の方へ向かっていたのですね。あとで調べてみると、山の辺の道には、古墳や万葉集の歌碑をたどりながら、いくつもの名所を5〜6時間ほどかけて歩くハイキングコースがあるのだそうです。
古い道を、自分の足でたどっていく。面白そうだな、私にもできるかな——そんなふうに思いました。その日は行けるところまで歩き、一般道らしき場所に出たところで引き返しましたが、いつかこの道をたどって、大神神社まで歩いてみたい。新しい目標が、ひとつ増えました。

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御朱印と清めの塩、ひとり旅のしめくくり
たっぷり境内を味わったら、最後のお楽しみ、御朱印です。
御朱印は、楼門を入って左手の授与所でいただけます。初穂料は300円。 石上神宮には「石上神宮」と、国宝・七支刀を図案化したものの2種類があるようですが、じつは私、御朱印は昔から墨書きの直筆一択。凝ったデザインや限定ものにはあまり目が向かず、その場で一筆一筆したためていただく、あの王道の御朱印がなにより好きなのです。
いただいたのはもちろん「石上神宮」の直筆。授与所で墨の香りに包まれる時間は、ひとり旅のごほうびのようなひとときでした。
そしてもうひとつ、私が授与所でいただいたのが清めの塩。せっかくの祓(はらえ)の神さまがいらっしゃる神宮ですから、これは持ち帰らなければ、と思ったのです。
じつはこの清めの塩、東京に戻ってから、お風呂に入れて使いました。ゆっくりお湯につかりながら、あの純粋な空気を思い出す。旅で受け取った清らかさを、暮らしの中にそっと持ち帰る——なんだか、心まで洗われるような心地でした。旅の余韻を「整える」道具にできるなんて、素敵だと思いませんか。
最後に、これから訪ねる方へ、実用的なメモを残しておきますね。
・所要時間:ゆっくり見て1時間〜1時間半ほど
・お手洗い:境内にきちんとあります。安心してください
・御朱印:楼門左手の授与所にて(初穂料は公式で要確認)
・清めの塩などの授与品もあり
・私が訪れた日曜は、そこそこの人出。海外からの観光客は見かけませんでした
・境内は静かなので、ゆっくり自分のペースで巡れます
日曜日でもゆったりと過ごせて、自分のペースで、思う存分、歴史と空気を味わえました。ひとりだからこそ、あの祓戸神社の細道で足を止め、心ゆくまで空気を感じることができたのだと思います。
おわりに──神話と歴史が地続きの国で
橿原神宮、大神神社、そして石上神宮。車を持たない私でも、電車とタクシーを乗り継いで、こうして日本最古級の神社たちを訪ね歩くことができました。
石上神宮で私がいちばん感じたのは、この国が「神話から歴史へ、地続きにつながっている」ということでした。神さまの物語が、いつのまにか豪族や天皇の歴史へと溶け込んでいく。その継ぎ目に立つお社で、名前も知らないまま祓(はらえ)の神さまの清らかさを感じ取れたこと。
そして、前回歩いた大神神社と、この石上神宮が一本の古道でつながっていたこと。ひとつひとつが、静かな驚きと喜びをくれました。
歴史を知ると、今、自分がここに立っていることが、はるか昔からの長い長い物語の続きなのだと気づかされます。そう思えたとき、なんでもない日常が、少しだけ愛おしくなる。それが、私が神社をめぐり、歴史を学びつづける理由なのかもしれません。
「一人で行くのは不安」——そう思っていた方も、大丈夫。準備さえ整えれば、車がなくても、ひとりでも、こんなに豊かな時間に出会えます。あなたの背中を、そっと押せていたらうれしいです。
整えることで、人生は変えられる。
それではみなさま、ごきげんよう。


このひとり旅で歩いた橿原神宮・大神神社の記事もあわせてどうぞ。三社が一本の「山の辺の道」でつながる感覚を、きっと味わっていただけます。
