皆さまごきげんよう、夏の夜はしっかり踊るジュリー・ジョリーです。
2026年8月7日。わたしは神田明神のアニソン盆踊りを目指して、いそいそと出かけていきました。結論から言うと、踊れませんでした。
でもその夜、わたしは人生で過去いちばん気持ちよく踊っています。神田明神でもなく、そのあと向かった上野でもない、まったく予定になかった場所で。
しかもその盆踊り、毎日のように「東京 盆踊り」と検索しているわたしの画面に、一度も出てきたことがなかったんです。曲がる道を一本先にしていたら、たぶん一生知らないままでした。
これはもう、神様のお導きと思いたい。そう思わせてくれる夜でした。
この記事でわかること
- 神田明神のアニソン盆踊りがどのくらい混むのか(正直にお伝えします)
- 上野に、観光客にほとんど知られていない盆踊り大会があること
- その会場「黒門小学校」の名前が背負っている、ちょっと重たい歴史
- 一人で地域の盆踊りに行くとき、どうふるまえばいいのか
神田明神のアニソン盆踊り、踊れずに引き返しました
神田明神の納涼祭りは、毎年8月に3日間ひらかれるお祭りです。2026年は8月7日(金)から9日(日)まで。初日の金曜がアニメソング盆踊りで、この日はイラストレーターでVTuberのしぐれういさんとのコラボもありました。
アニソンで盆踊り。字面だけ聞くと突飛に思えるかもしれませんが、神田明神は秋葉原のすぐ隣にあります。境内にアニメの絵馬がずらりと並ぶ、あの神社です。むしろ、いちばん自然な組み合わせなんですよね。
ただ、わたしはその「自然さ」の破壊力を見誤っていました。
石段を上がるところまでは、するすると進めたんです。おかしいな、いけるかも。そう思ったのもつかの間、境内に一歩入った瞬間、足が止まりました。
前に進めない。人と人のすきまを探して、じりじりと足を送る。盆踊りの輪までたどり着くのに、完全に牛歩です。太鼓の音も、アニソンも、笑い声も降ってくる。活気はものすごい。境内じゅうが浮き足立っていて、その熱気は本当に楽しそうでした。
でも、踊れない。
これはもう、わたしにとって死活問題です。だって踊りに来たんですから。見るだけの盆踊りは、わたしの夏じゃない。輪に入って、太鼓に合わせて手を上げて、汗をかいて、それでようやく「夏が来た」と言えるのです。
とりあえず一周だけして、たこ焼きを買って食べました。おいしかった。おいしかったですが、これは盆踊りではなく縁日です(笑)。
こういうとき、ひとり旅は身軽です。誰にも相談せず、その場で方針を変えられる。そういえば上野のほうでも盆踊りをやっていたはず——そんな記憶をたよりに、わたしは神田明神をあとにしました。
神田明神から上野までは、歩いて20分ほど。夏の夜に下町を歩くのも悪くありません。
このとき、その上野にもたどり着かないことになるとは、まったく思っていませんでした。
路地の先に、小さな赤い提灯が見えた
神田明神を出て、妻恋坂の交差点を曲がります。
大通りはきっと人が多いだろうな、と思ったので、そのまま路地に入りました。このあたりは以前、妻恋神社を訪ねたときに歩いた界隈でもあります。夜になると、昼間とはまるで違う顔をしていました。

路地をまっすぐ、ただまっすぐ歩いていきます。すると、突き当たりのほうに、小さく赤いものが見えました。
提灯です。ぽつん、ぽつんと並んだ赤。
歩を進めると、今度は音が届きはじめました。ドン、ドン、と地面を伝ってくるような、心地よい太鼓の音。録音ではありません。あれは生の太鼓です。
お! これはもしや! 盆踊り!

そこからは足が勝手に速まりました。部外者だったらどうしよう、なんて一秒も考えていません。だって、部外者でも楽しめるのが祭りでしょう(笑)。そのまま小学校へピットインです。
台東区立黒門小学校。上野地区町会連合会による「上野地区盆踊り大会」でした。
校庭のまんなかに櫓が立ち、提灯がぐるりと張りめぐらされて、そのまわりを人が回っています。出店は、いわゆる露天商のずらりとした感じではありません。小学校のお母さんたちが並んでいる、あの雰囲気。それがもう、たまらなく懐かしいのです。
そして入口には、ちゃんと印刷されたチラシがありました。事前の練習会まで開かれていたようです。
つまり、けっして内輪だけの小さな集まりではないんですね。地域としてきちんと準備されている、立派な盆踊り大会でした。
それなのに——わたしの検索には、一度も出てこなかった。
夏のあいだ、わたしはほとんど毎日「東京 盆踊り」と検索しています。イベントサイトも区の広報も、ひととおり目を通しているつもりでした。それでもこの盆踊りは、わたしの画面に現れたことがなかったのです。
観光客に向けて発信していないから、当然といえば当然かもしれません。ここは地域の人が地域の人のために開いているお祭りで、わざわざ検索する必要のない人たちが集まる場所なのですから。
神田明神という大御所と、上野公園という有名スポット。そのあいだに、ぽっかりとオアシスがありました。
検索では見つからなかった。歩いていたから見つかった。
曲がる道を一本先にしていたら、わたしはこの夜のことを何も知らないまま、来年も再来年も「東京 盆踊り」と検索し続けていたはずです。
神様のお導き、ということにしておきましょう。そのほうが、夏がたのしい。
校庭に櫓、体育館にゲームコーナー
校庭に入ってまず思ったのは、「これは知っている景色だ」ということでした。
初めて来た場所なのに、なぜか懐かしい。櫓の組み方も、提灯の吊るし方も、どこか手作りで、昭和の匂いがするのです。
子どもたちが、とにかく元気でした。
浴衣の裾をひるがえして、櫓のまわりをぐるぐる走り回る。誰かが走ると、つられて別の子も走り出す。かけっこ、かけっこ、また かけっこ。大人が「危ないよ」と声をかけても、三秒後にはまた走っている。
体育館をのぞいたら、こちらは子ども向けのゲームコーナーになっていました。景品が並び、順番待ちの列ができています。
これも、記憶の奥にある光景でした。小学校の夏、体育館のあの独特のひんやりした空気と、ざわざわした声。大人になってから、こんなに正面から思い出す機会があるとは思っていませんでした。
そう、盆踊りって、自分の子ども時代を返してもらえる場所なのかもしれません。
ちなみにこの夜、わたしは会場の写真をほとんど撮っていません。子どもたちがたくさんいたからです。
ブログを書いていると、つい「この画が欲しい」と思ってしまいます。でも、ここは観光地ではなく、地域の人の生活の場です。写らなくていい人が写ってしまう可能性があるなら、カメラは下ろす。そう決めました。
だから今回、記事の写真は少なめです。そのぶん、言葉で残しておこうと思います。
そしてもうひとつ。この日、外国の方も何人か見かけました。でもあれは観光で来た方ではなく、たぶんこの小学校に通うお子さんのご家族です。
観光地の「インターナショナル」ではなく、この町に暮らしている人たちの多様さ。それがまた、いいなと思いました。ここは誰かの日常なんだな、と。
その日常に、通りすがりのわたしがひょいと混ぜてもらっている。ありがたい話です。
過去いちばん、踊りやすい夜でした
さて、本題です。踊りました。たっぷり踊りました。
この会場、人はちゃんといるのに、混んでいないのです。
櫓のまわりの輪には、いつでもすっと入れる余白がありました。前の人との距離が近すぎず、腕をのばしても誰にもぶつからない。振りを間違えても、慌てて直せる余裕がある。
実はわたし、盆踊りは今年デビューしたばかりです。それなのに火がついてしまって、この夏だけで9つの会場、のべ14夜を踊り歩いてきました。山王祭の日枝神社、入谷の朝顔まつり、晴海ふ頭、靖国神社のみたままつり、新橋、増上寺、築地本願寺、銀座、番町麹町。
そうそうたる顔ぶれでしょう。どこも素晴らしかったです。
そのうえで申し上げます。踊りやすさでいえば、この黒門小学校の校庭が断トツでした。
初心者にとって、会場の混み具合は死活問題なんです。ぎゅうぎゅうの輪だと、振りを間違えたときに逃げ場がない。まわりに合わせようと必死になって、気づいたら音楽を聞いていない。でもこのくらいの密度なら、間違えてもへっちゃらです。誰も見ていませんし、そもそも見られて困るほどの腕前は、まだわたしにもありません(笑)。
そして、太鼓です。
生の太鼓が入ると、盆踊りはまったく別のものになります。音源だけの会場だと、音楽に合わせて動く感覚。でも生の太鼓があると、音がおなかに届いて、そこから体が動き出す。打ち手の呼吸がそのまま伝わってくるので、輪全体の熱がじわじわ上がっていくのです。

汗をかいて、手を上げて、また一周。
神田明神で踊れなかったぶんまで、しっかり回収させていただきました。
余談:ちゃっかり写っていました
翌日、家に帰ってから「上野地区盆踊り」とYouTubeで検索してみたんです。当日の様子を上げている方がいらっしゃいました。
なんとなく再生してみたら——わたし、ちゃっかり写っていました。
輪のなかで、それはもう楽しそうに踊っている盆ネキが一名。あんなに周囲に気をつかって写真を控えていた本人が、しっかり記録に残っているのだから世話がありません(笑)。
でも、いやな気持ちにはなりませんでした。むしろ、うれしかった。
わたしはあの夜、たまたま通りかかっただけの通行人です。それでもあの映像のなかでは、輪をつくっている一人として、ちゃんとそこにいる。
盆踊りの輪って、そういうものなんですよね。地元の人か、よそ者か。そんな区別は、輪に入ってしまえばどうでもよくなる。手を上げて、同じ振りをして、同じ太鼓を聞いている。それだけで、その夜のあいだは仲間なのです。
「黒門」という名前が背負っているもの
ここで、歴史好きの血が騒ぐ話をひとつ。
黒門小学校。この校名、どこから来たと思いますか。
江戸時代、いまの上野公園一帯には寛永寺という巨大なお寺がありました。徳川将軍家の菩提寺で、上野の山まるごとがお寺の敷地だったと思ってください。
そのお寺の正面玄関にあたる総門が、黒門と呼ばれていました。寛永2年(1625年)の建立と伝わります(諸説あります)。
門があまりに立派で目印になるので、周辺の町名にまで名前が広がりました。元黒門町、西黒門町、東黒門町。だから学校ができるときも、その土地に根づいた「黒門」が校名に選ばれたわけです。
ここまでなら、地名の由来話で終わります。問題は、この門で何があったかです。
慶応4年(1868年)5月15日。上野戦争。
江戸幕府が倒れたあと、最後まで徳川に殉じようとした彰義隊がこの上野の山に立てこもりました。対するは新政府軍。そして戦いの最大の激戦地となったのが、この黒門だったのです。
一日で決着はつきました。上野の山は焼け、寛永寺の伽藍はほとんど失われます。
黒門は生き残りました。ただし、無数の弾痕を刻まれて。現在この門は荒川区南千住の円通寺に移築され、そこで弾の跡をさらしたまま立っています。
さて。
その名前を受け継いだ小学校の校庭で、いま何が起きていたか。
子どもがかけっこをしていました。太鼓が鳴って、大人たちが輪になって笑っていました。屋台の列に並ぶ人がいて、体育館では景品を狙う子が順番を待っていました。
盆踊りは、もともとご先祖さまを迎えて、送るための踊りです。
158年前、この場所の名を持つ門の前で、たくさんの人が亡くなりました。その名を掲げた校庭で、平和そのものの夜が更けていく。
歴史を知っていると、同じ景色がまるで違って見えます。
ただの楽しい夜が、ありがたい夜に変わる。わたしが歴史を好きな理由は、たぶんここにあります。
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上野戦争と彰義隊のことをもう少し知ってから歩くと、上野の景色はまるで違って見えます。読んでから行くか、行ってから読むか。どちらでも楽しめますよ。
一人で行っても、大丈夫でした
「地域の盆踊りに、よそ者が一人で行っていいの?」
たぶん、これを読んでいる方の何人かは、そう思っていますよね。わたしも最初はそう思っていました。
結論から言うと、大丈夫です。この夜わたしがしたことは、たった3つでした。
- 輪の外側に立って、二周ぶんだけ振りを見る
- 上手な人の後ろにつく(前ではなく後ろが鉄則です)
- 間違えても止まらない。にこにこして続ける
これだけで、ちゃんと踊れます。誰にも咎められません。それどころか、隣のおばあさまが手の動きをゆっくりやって見せてくれたりします。
輪に入らず、櫓のそばで太鼓を聞いているだけでも、じゅうぶん贅沢な夜です。
もう少し詳しいコツ——服装や持ち物、曲の予習の話などは、別記事にまとめる予定です。書けたらここからリンクを貼りますね。
来年の夏も、わたしはここに来ます
最後に、少しだけ真面目な話を。
8月9日、あらためて神田明神の納涼祭りに伺ったときのことです。会場で浜町音頭保存会のマダムとお話しする機会がありました。
そこで聞いたのが、「神田明神の盆踊りは、しばらくお休みになるらしい」というお話。工事の関係で、来年から数年は開催されないのだそうです。
わたしが公式サイトで確認できたのは、2027年は神田祭の本祭にあたるため納涼祭りはお休み、というところまででした。それ以降については書かれていません。あくまで現地で伺ったお話として受け取っていただき、お出かけの前には必ず公式サイトをご確認くださいね。
さて、この話を聞いたとき、わたしはこう考えました。有名なお祭りでも、なくなることはあるんだなあ、と。
でも、気になって少し調べてみたら、話はもっと別のところにありました。
消えているのは、大きなお祭りではなく、町の盆踊りのほうだったのです。
騒音への苦情、子どもの数の減少、資金と担い手の不足。そうした理由で、東京の盆踊りの会場数は、この20年ほどで大きく減ったと言われています。町会がひとつでは続けられなくなって、隣の町会と合同で開催するところも出てきているそうです。
一方、中野駅前や錦糸町の大盆踊り大会のような有名どころは、コロナで中断しても、ちゃんと復活して回を重ねています。規模が大きく、知られているものは強いのです。
つまり、こういうことになります。
有名なイベントは、続くけれど混んでいて踊れないことがある。地域の盆踊りは、踊りやすいけれど、続くかどうかがわからない。
あの校庭の夜が、来年もあるとは限らないのです。
そう気づいたとき、あの夜の意味が変わりました。「ラッキーな掘り出し物を見つけた」ではありません。いま出会えたことが、ありがたいのです。
黒門の話と、同じですね。あって当たり前のものなど、ひとつもない。
だから、来年もわたしはあの校庭に行きます。今度は迷わず、まっすぐに。
そして、これを読んでくださっているあなたにも、おすすめしたいことがあります。
お住まいの町に、盆踊りはありませんか。小学校の校庭や、公園や、神社の境内で。もしあったら、今年か来年、ふらりと行ってみてください。
わたしたちが行くことは、たぶん、その盆踊りが続くことへのささやかな一票になります。屋台でひとつ何かを買って、輪をひとまわり大きくして帰る。それだけで、じゅうぶんです。
楽しんだ人が、結果的に守っている。盆踊りって、そういう気前のいいお祭りだと思うのです。
まとめ
- 神田明神のアニソン盆踊りは大人気。踊るのが目的なら、混雑の覚悟を
- 上野には「上野地区盆踊り大会」があります(台東区立黒門小学校・上野地区町会連合会主催)
- 会場の名「黒門」は寛永寺の総門から。上野戦争の激戦地でした
- 有名なイベントも素敵ですが、地域の盆踊りには地元ならではのあたたかさがあります
- 一人でも大丈夫。輪の外で二周見てから入れば踊れます
- そして地域の盆踊りは、行くことが守ることになります
この夏、わたしは9つの会場、のべ14夜を踊り歩きました。それでも足りません。
毎日たのしくて、わたしがひとりでは足りません。
来年の夏も、きっと同じことを言っている気がします。
整えることで、人生は変えられる。
それではみなさま、ごきげんよう。
