皆さまごきげんよう、七福神の色紙をついに完成させたジュリー・ジョリーです。
浅草名所七福神の色紙、一ヶ月かけて、ついに埋まりました。
「8月中に完成させる」——これが今年の夏の、私の小さな目標でした。残っていたのは、待乳山聖天・橋場不動尊・石浜神社の3つ。
当日の朝は、足取りが軽いなんてものじゃありませんでした。乗るバスも、歩く順番も、お昼をどこで食べるかも、ぜんぶ調べ上げてある。スマホのPASMOをピッとかざしてバスに乗り込んだ時点で、まだ1社も回っていないのに「やりきった感」を先に味わっていたんですから、われながら気が早いです(笑)。
でも実際に歩いてみると、計画通りにいかない場面もありました。そしてその「通りにいかなかった時間」が、いちばん記憶に残っています。
- 残り3社(待乳山聖天・橋場不動尊・石浜神社)の見どころ
- 車がなくても回れる、実際のルートと移動手段(バス100円)
- バスが来なかった話。想定外が起きたときの立て直し方
- 七福神めぐりを「完結」させると、何が残るのか
残っていたのは、隅田川ぞいの3社寺
浅草名所七福神は、名前は「七福神」でも、まわる先は九社寺あります。福禄寿と寿老人が2か所ずつあるのですが、これは数え間違いではなく、「九」という数にこめられた縁起があってのこと。
くわしくは1回目の記事に書いていますので、よかったらこちらから。
- 1回目:今戸神社・浅草神社・浅草寺 → 浅草名所七福神めぐり(1)
- 2回目:矢先稲荷神社・鷲神社・吉原神社 → 浅草名所七福神めぐり(2)
そして今回の3つが、待乳山聖天(毘沙門天)・橋場不動尊(布袋尊)・石浜神社(寿老神)。
地図を開いてもらうとわかるのですが、この3つは浅草寺から北に向かって、隅田川に沿って一直線に並んでいます。いちばん奥の石浜神社まで、直線でおよそ2キロちょっと。
たった2キロ北へ行くだけなのに、風景がまるで違うんです。仲見世のあの人波が嘘みたいに、道が静かになっていく。
その静けさこそが、今回いちばんの収穫でした。
待乳山聖天|大根を抱えて、石段を上がる

浅草駅からめぐりんに乗って、3つ目の「隅田公園」で下車。歩いて数分のところに、こんもりとした小さな丘が見えてきます。
待乳山聖天(まつちやましょうでん)。正式には本龍院といって、浅草寺の支院にあたるお寺です。浅草名所七福神では、毘沙門天をお祀りしています。
「山」といっても標高は約10メートル。それでも平らな下町では、ここが最高峰なのだそうです。
そして正直に言うと、ここは見どころが多すぎて、この記事には収まりきりませんでした。江戸から残る築地塀、日本一短いといわれるモノレール、錦鯉の泳ぐお庭——どれもちゃんと書きたい。というわけで、待乳山聖天だけで一本書くことにします!(後日公開)
👉 (予定)待乳山聖天ひとり参拝|江戸が残る壁と、大根のお供え
ここでは、ひとつだけ。大根の話をさせてください。
このお寺のしるしは、大根と巾着。ご本尊である大聖歓喜天(聖天さま)へのお供物とご利益を表しています。大根は「身体健全・夫婦和合」、巾着は「財福」。
大根は、入口すぐのところで350円で授かれます。現金のみなので、ここだけはPASMOが使えません。
受け取った大根を抱えて、石段を上がって御本殿へ。お供えして、手を合わせる。そして参拝を終えて戻ってくると、持ち帰れる大根が置いてあるんです。誰かがお供えした大根を、次の誰かがいただいて帰る。ぐるぐると回っている。
お供え物って、もともとは旬のものを差し上げる習慣だったんですよね。お米、お酒、採れたてのお野菜。それが貨幣経済になって、だんだんお賽銭という形に置き換わっていった。
つまりここでは、お金になる前の、昔ながらのお供えの形がそのまま残っている。大根を抱えて石段を上がりながら、「私はいま、江戸の人と同じことをしている」と思いました。100円玉を投げ入れるのとは、まるで違う手触りでした。
そして境内の奥から隅田川を眺めながら、私が思い浮かべていたのは、源氏の軍勢が川を渡って押し寄せてくる光景でした。
……この想像には、ちゃんと続きがありました。それは、この日の最後の神社で判明します。
橋場不動尊|小さいのではなく、残ったのです
ふたたびめぐりんに乗って北へ。降りるのは8つ目の「橋場一丁目」。そこから歩いて7分ほどのところにあるのが、橋場不動尊です。正式には砂尾山橋場寺不動院。浅草名所七福神では、布袋尊をお祀りしています。
門をくぐって、正直に言います。
こじんまり。
待乳山聖天のあの密度のあとだったので、なおさらそう感じました。境内はすっと見渡せて、静かで、地元の方の暮らしのすぐ隣にある、という佇まい。
でも、由緒を知ってから、その「小ささ」の見え方が変わりました。
このお寺が開かれたのは、天平宝字4年(760年)。奈良時代です。そして今立っているお堂は、弘化2年(1845年)建立。江戸時代のものが、そのまま現役なんです。
……ここで、あれ?と思いませんか。関東大震災は? 東京大空襲は?
実はここ、明治末年の大火も、関東大震災も、戦災も、すべて免れています。公式の由緒にはこうあります——「不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍を免れ」た、と。
まわりが焼けても、ここだけ焼けなかった。それが一度ではなく、三度も。そのため人々から「火伏せの橋場不動尊」と呼ばれ、篤く信仰されるようになりました。
そう思うと、目の前のこじんまりした境内が、まったく違うものに見えてきました。
小さいのではなく、残ったのです。

本堂の右前には、樹齢約700年といわれる大銀杏がそびえています。かつては隅田川を行き交う船の目印だったのだそうです。見上げながら、「わたしの知らない時代も見てきたんだね」と、心の中で話しかけていました。
この大銀杏と「火伏せ」には、実は深いつながりがあります。そのあたりは別記事に書く予定です!(後日公開)
👉 (予定)橋場不動尊ひとり参拝|三度の災禍を免れたお不動さまと、700年の大銀杏
江戸の暮らしや文化を、専門家がやさしく解きほぐしてくれる一冊。下町散歩のお供に。
『眠れないほどおもしろい吾妻鏡』板野博行/三笠書房
このあと出てくる源頼朝——その鎌倉幕府の「公式レポート」を、驚くほど読みやすく。次の旅は、頼朝を追いかけたくなります。
石浜神社|同じ浅草とは思えない、静けさでした

橋場不動尊から、今度は歩きます。徒歩5〜6分。台東区から荒川区へ、いつのまにか区をまたいで、たどり着いたのが石浜神社です。浅草名所七福神では、寿老神(じゅろうじん)をお祀りしています。九社寺の、いちばん北のはしっこ。
境内に入って、まず思いました。
静か。
浅草寺のあの人の波から、たった数キロ。それなのにここは、ほとんど貸し切りのようでした。
ちなみにこの日は月曜日。平日です。もちろん、平日のほうが空いているのは間違いありません。
ただ——浅草の中心は、平日でもしっかり混みます。少し前の8月2日、日曜日に浅草寺へお参りしたときは、仲見世がまさに人の波でした。あの規模の観光地は、曜日をずらしたくらいでは静かになってくれません。
だから、こう思うんです。静かにお参りしたいなら、曜日をずらすより、場所をずらすほうが確実。
「土日しか休みが取れない」という方こそ、浅草寺で人波にもまれたあと、北へ2キロ足を伸ばしてみてください。同じ浅草とは思えない時間が待っています。
1300年、ここにある神社
石浜神社の鎮座は、神亀元年(724年)9月11日。勅願によって祀られたと伝わります。奈良時代——なんと1300年の歴史です。
御祭神は、天照大御神と豊受大御神。伊勢神宮と同じ組み合わせですね。だから昔から、地元の人には「神明さん」と呼ばれて親しまれてきました。
鳥居も独特でした。上に渡された笠木の断面が、丸でも角でもなくカマボコ型をしているんです。ほかではあまり見ない形で、「石浜鳥居」と呼ばれることもあるそうです。第二鳥居が寛延2年(1749年)、第一鳥居が安永8年(1779年)建立。江戸時代のものが、今も現役で立っています。
境内を歩いていると、「冨士遙拝所」と刻まれた石碑にも出会いました。遙拝(ようはい)——遠くから拝む、という意味です。かつてこの場所からは、隅田川の向こうに富士山が見えたのだそうです。
今はもちろん、建物にさえぎられて見えません。でも、同じ場所に立って、同じ方角を向くことはできる。
見えないものを拝む。そこにいない人を思う。——参拝って、もともとそういうことなのかもしれないな、と石碑の前で思いました。
源氏は、本当にこの川を渡っていた
そしてここで、待乳山で思い浮かべたあの光景が、つながります。
文治5年(1189年)、源頼朝が奥州征討に向かう際、この神社に社殿を寄進した。
公式のご由緒に、そう記されています。さらに弘安4年(1281年)の蒙古襲来のときには鎌倉将軍家の取り次ぎで官幣が奉じられ、千葉氏や宇都宮氏といった関東の武将たちからも篤く信仰されました。
待乳山の丘の上で、私はぼんやりした隅田川を眺めながら、源氏の軍勢が川を渡ってくる光景を想像していました。
それは、想像ではなかったんです。
数時間前の自分の妄想が、一日の終わりに史料で裏書きされる。歴史好きとしては、ちょっと震えるような瞬間でした。
鰻玉丼880円という事件

そしてもうひとつ、うれしい誤算。境内に「石濱茶寮」というお店が併設されているんです。
七福神めぐりの終盤、けっこう歩いて、暑くて、正直へばっていました。そんなときに、参拝したその場所で座って休める。
いただいたのは、月替わりランチの「鰻玉丼」。880円。
……880円ですよ。鰻ですよ。神社の境内で。しかも、お味が本当によかった。江戸時代の浮世絵にも描かれた豆腐田楽が名物だそうなので、次はそちらもいただきたいところです。
ひとりでも入りやすい、開放的で落ち着いた空間でした。「参拝のあとにどこで休もう」は、ひとり旅の地味な悩みのひとつ。それがここでは、参拝と休憩がひと続きになります。
そして、この神社で9つ目の朱印をいただきました。
めぐりん100円と、来なかったバス
さて、ここまで「バスに乗って」とサラッと書いてきましたが、車の免許を持っていない私にとって、ここが記事の本題でもあります。
残り3社は、浅草寺から北へ一直線。歩けなくはない距離ですが、真夏に3社ぶんを徒歩でつなぐのは、正直しんどい。そこで使ったのが、台東区の循環バス「めぐりん」でした。
この日の実際のルート
| ① | 浅草駅 → 隅田公園(③停留所) | めぐりん 100円 |
| ② | 待乳山聖天 参拝 | |
| ③ | 隅田公園 → 橋場一丁目(⑧停留所) | めぐりん 100円 |
| ④ | 橋場不動尊 参拝 | |
| ⑤ | 橋場不動尊 → 石浜神社 | 徒歩5〜6分 |
| ⑥ | 石浜神社 参拝+石濱茶寮でひと休み | |
| ⑦ | 橋場二丁目アパート前 → 浅草 | 都バス(23区一律210円) |
めぐりんは、大人も子どもも一律100円。しかもSuicaやPASMOが使えます。小銭を用意しなくていいのは、旅の地味なストレスがひとつ消えるということ。1日乗車券は300円なので、3回以上乗るなら断然お得です。
そして、バスは来なかった
問題は帰りです。
橋場不動尊と石浜神社のあいだに、浅草方面行きの「橋場二丁目アパート前」という停留所があります。私はそこで、めぐりんを待っていました。
3分。4分。5分。
来ない。
炎天下です。日陰に身を寄せながら、汗が背中を伝っていく。「まだかな」と時刻表を見上げて、また道の先を見て、また時刻表を見る。ひとりだと、この時間がやたらと長く感じます。
そこへ、先に都バスが来ました。……乗りました。即決でした。
浅草へ着いてから調べてわかったのですが、石浜神社は荒川区なんです。めぐりんは台東区のコミュニティバスなので、あのあたりはもう管轄のはしっこ。本数も、都心の路線バスのようにはいきません。
「これも旅」だと思うんです
きっちり計画を立てて出かけた日でした。乗るバスも、歩く順番も、ランチの場所まで調べ上げて。それでも、最後の最後で計画は崩れました。
でも——崩れたところだけ、やたら鮮明に覚えているんです。
順調に進んだ移動は、正直あまり記憶に残っていません。汗をかきながらバスを待って、諦めて別のバスに飛び乗った、あの5分。あれがこの日いちばんの「旅らしい時間」でした。
ひとり旅が不安、という方に、私はこう言いたいです。
計画は、崩れます。そして崩れても、たいていなんとかなります。バスが来なければ、別のバスに乗ればいい。タクシーだっていい。歩いたっていい。
大事なのは、手段をひとつに決めておかないこと。「めぐりんで帰る」ではなく「浅草に戻れればいい」と思っていれば、都バスは失敗ではなく選択肢になります。
色紙が完成した日に、整ったもの

石浜神社で9つ目の朱印をいただいて、色紙が埋まりました。
一ヶ月。たった一ヶ月です。でもこの一ヶ月で私は浅草の北から南まで歩き回り、9つの神さまに手を合わせました。
浅草名所七福神は九社寺。その9つが、一枚の色紙におさまります(御朱印帳にいただいたところもあります)。
埋まった色紙をあらためて眺めてみると、不思議なもので、朱印を見るだけでその日が戻ってくるんです。
待乳山聖天の朱印を見れば、大根を抱えて石段を上がったときの、あの重さ。矢先稲荷の朱印を見れば、天井画を見上げすぎて首も肩もバキバキになったこと(笑)。そして今日の3つを見れば、築地塀の瓦の縞、来なかったバスを待った5分間の暑さ。
御朱印って、「行った証明」じゃないんですね。
行った日の、記憶の索引なんだと思います。
歴史を知ると、今日が少しまぶしくなる
源頼朝が馬で渡った隅田川を、私は100円のバスで越えました。江戸の人が一生に一度と願った富士山を、私は新幹線に乗れば数時間で見に行けます。1200年、火から守られ続けた場所に、私はふらりと立ち寄ることができました。
昔の人が、命がけで、あるいは一生をかけて手に入れようとしたもの。その多くを、私たちはもう当たり前のように持っています。
歴史を知るというのは、昔を懐かしむことじゃなくて、今の自分がどれだけ恵まれているかに気づくことなんじゃないでしょうか。
そう思えたとき、参拝の意味がすこし変わりました。「お願いごとをする場所」から、「もう持っているものを確かめる場所」へ。
決めたことを、決めたとおりにやり切った
「8月中に色紙を完成させる」。一ヶ月前の自分が、ひとりで勝手に決めた、誰にも頼まれていない目標でした。
それを、やり切りました。
大したことじゃありません。誰も褒めてくれません。でも——自分で決めたことを自分で守れたという手ごたえは、じわじわ効いてきます。
仕事に追われていると、他人が決めた締め切りばかりを追いかけることになります。だからこそ、自分で決めた締め切りを自分のために守る時間が、たまには必要なんだと思うんです。
整うって、たぶんそういうことです。
一人でも大丈夫です。これから巡る方へ
お正月じゃなくても、巡れます
七福神めぐりというと「松の内(1月7日まで)」のイメージが強いですよね。でも浅草名所七福神は通年で巡れます。私が完成させたのは8月。真夏です。汗だくです。でも、だからこそ空いていて、ゆっくりお参りできました。
一度で回りきらなくていい
9社寺を1日で回ることも可能ですが、私は3回に分けて、一ヶ月かけました。一度に詰め込むと「消化」になってしまうけれど、分けると一社一社をちゃんと味わえる。それに、次の楽しみが残っている状態って、日常のなかでけっこう効きます。順番も自由です。
持ち物リスト
| 現金 | 大根350円も御朱印も現金です。めぐりんはIC可ですが、油断は禁物 |
| モバイルバッテリー | 写真+地図+乗換案内で、想像以上に減ります |
| 色紙が入る袋 | 折れると悲しいです。クリアファイルか大きめの紙袋を |
| 日傘・飲み物 | 夏場は必須。日陰の少ない道が続きます |
| スマホのPASMO | バスの乗り換え判断が一瞬でできます |
巡り終えたあとの、色紙のこと
完成した色紙、みなさんどうされているんでしょう。私は最初、ラップで包もうかと本気で考えました。……調べてみたら、これはやってはいけない保存法でした。湿気がこもってカビの原因になりますし、密着した面に朱肉が移ってしまうことがあるそうです。
正解は、色紙用の額に入れること。色紙は8号(27.3×24.2cm)が標準サイズなので、専用の額がちゃんと売られています。UVカットのアクリル板つきなら、朱印の色あせも防げます。
引き出しにしまい込まず、目に入るところに飾る。私はこれをおすすめします。だって、記憶の索引ですから。見えないと引けません。
「一人だと不安」な方へ
不安の正体って、たいてい「作法がわからない」「聞ける人がいない」の2つだと思うんです。だから先に言っておきます。
- 待乳山聖天の御朱印は、本殿に上がっていただきます。上がっていいんです
- 橋場不動尊の御朱印は、インターホンを押して呼びます。押していいんです
- 大根は、入口で買って本殿に持っていく。誰も見ていません、堂々と抱えてください
私も最初は、インターホンの前で一瞬ためらいました。押しても、なかなか出てこられなくて。奥から物音はするんです。でも来ない。結局、2回押しました。
……気づかれていなかっただけでした(笑)。ちゃんと出てきてくださって、ちゃんと書いていただけました。
押していいんです。聞こえていないこともあるので、遠慮なく2回目を押してください。
おわりに
九つの朱印が並んだ色紙は、いま部屋に飾ってあります。
一ヶ月前、「8月中に完成させる」と決めた自分。バスが来なくて汗だくで立っていた自分。880円の鰻玉丼に「有難さ」を感じた自分。
ぜんぶ、この一枚におさまっています。
もし今、「行ってみたいけど、一人だとちょっと」と迷っている方がいたら。まずは一社だけ、行ってみてください。色紙は、そこから始まります。
整えることで、人生は変えられる。
それではみなさま、ごきげんよう。
